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比較と欲望と恐怖から逃れるには、感謝の情を身につければ良い

老躬漫歩秩父巡礼記

緒言 由緒

秩父三十四ヶ寺 ご詠歌 御真言 一覧

1〜10    11〜20   21〜30   31〜34

第一番 誦経山 四萬部寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
           誦経山四萬部寺 途次  由緒  和讃 御朱印
第二番 大棚山 真福寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     棚山真福寺 光明寺 途次    由緒 和讃 御朱印
三番 岩本山 常泉寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     岩本山常泉寺 途次写真  由緒 和讃 御朱印
第四番 高谷山 金昌寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗
     大谷山金昌寺 途次写真 寺写真 由緒 和讃 御朱印
第五番 小川山 語歌堂 准胝観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     小川山長興寺 語歌堂  語歌堂 御朱印寺小川山長興寺
     観音霊験記 由緒 小川山長興寺 和讃 御朱印
     第六第七への途次
第六番 向陽山 卜雲寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     向陽山卜雲寺 由緒 和讃 御朱印 途次
第七番 青苔山 法長寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗
     青苔山法長寺 欄間 和讃 御朱印 途次
第八番 清泰山 西善寺 十一面観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     清泰山西善寺 西善寺 途次 由緒 和讃 御朱印
第九番 明星山 明智寺 如意輪観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     明星山明智寺 途次  途次 全景 由緒 和讃 御朱印 
第十番 万松山 大慈寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     萬松山大慈寺 途次 由緒 御朱印 途次
第十一番 南石山 常楽寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗
     常楽寺 由緒 和讃 御朱印 帰路
第十二番 仏道山 野坂寺 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     途次 仏道山 野坂寺前景 由緒 和讃 御朱印
第十三番 旗下山 慈眼寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     往路 慈眼寺門前 由緒 和讃 御朱印
第十四番 長岳山 今宮坊 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     往路 石仏 今宮坊全景 由緒 和讃 御朱印 今宮神社
第十五 母巣山 少林寺 十一面観世音菩薩 臨済宗建長寺派
     途次 由緒 和讃 御朱印 秩父神社
第十六番 無量山 西光寺 千手観世音菩薩 真言宗豊山派
     途次 西光寺門前 由緒 和讃 御朱印 道標
第十七番 実正山 定林寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗
     往路 定林寺門前 由緒 和讃 御朱印
第十八番 白道山 神門寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     往路 神門寺 由緒 和讃 御朱印
第十九番 飛渕山 龍石寺 千手観世音菩薩 曹洞宗
     往途 本堂 由緒 和讃 御朱印 
第二十番 法王山 岩之上堂 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     往路 由緒 和讃 御朱印

第二十一番 要光山 観音寺 聖観世音菩薩 真言宗豊山派

     途次 観音寺全景 由緒 和讃 御朱印
第二十二番 華台山 童子堂 聖観世音菩薩 真言宗豊山派
     途次 栄福寺 由緒 和讃 御朱印
第二十三番 松風山 音楽寺 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派
     途次 稲荷社 境内諸堂 由緒 和讃 御朱印 市内遠望
第二十四番 光智山 法泉寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     途次 寺院門前 寺院境内 本堂 朱印所 由緒 和讃 御朱印

第二十五番 岩谷山 久昌寺 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     途次 寺院門前 寺院改修 弁天池 本堂遠望
     本堂 由緒 和讃 御朱印
第二十六番 万松山 円融寺 聖観世音菩薩 臨済宗建長寺派
     途次 観音堂 琴平神社 由緒 和讃 御朱印
第二十七番 龍河山 大渕寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     途次 大淵寺石柱 門前 観音像登り口 護国観音像
     由緒 和讃 御朱印
第二十八番 石龍山 橋立堂 馬頭観世音菩薩 曹洞宗
     往路 橋立寺 由緒 和讃 御朱印
第二十九番 笹戸山 長泉院 聖観世音菩薩 曹洞宗
     往路 本堂正面 絵馬 境内の景観 由緒 和讃 御朱印
第三十番 瑞龍山 法雲寺 如意輪観世音菩薩 臨済宗建長寺派
     往路 寺院境内 本堂 由緒 和讃 御朱印
第三十一番 鷲窟山 観音院 聖観世音菩薩 曹洞宗
     地図 荒川橋梁 里山 往路 膨大な地蔵 大きな仁王
     寺院境内 磨崖佛 南無阿弥陀仏 由緒 和讃 御朱印
第三十二番  般若山 法性寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     往路 山門 本堂 境内 奥の院 由緒 和讃 御朱印
第三十三番 延命山 菊水寺 聖観世音菩薩 曹洞宗
     往路 化石館 門柱 本堂 由緒 和讃 御朱印
第三十四番 日沢山 水潜寺 千手観世音菩薩 曹洞宗
     往路 本堂 境内諸堂 由緒 和讃 御朱印

秩父三十四観音霊場結願しました

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秩父三十四箇寺の一覧

 御詠歌には流派が有り、それぞれに謂われと詠法が有るそうです。

 金剛流 密巌流 豊山流 東寺流 吉水流 西山流

 遍照流 花園流 獨秀流 鎌倉流 慧日流 梅花流

 

順番 山号 寺号 札所本尊 宗派 所在地

 

1 誦経山 四萬部寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 ありがたや 一巻ならぬ法のはな

     数は四萬部の 寺のいにしえ

 

 

2 大棚山 真福寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 廻りきて 頼みをかけし 大棚の

     誓いも深き 谷川の水

 

 

3 岩本山 常泉寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 補陀洛は 岩本寺と拝むべし

     峰の松風 ひびく滝津波

 

 

4 高谷山 金昌寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おんまか きゃろにきゃ そわか

 御詠歌 あらたかに 参りて拝む観世音

     二世安楽と 誰も祈らん

 

 

5 小川山 語歌堂 准胝観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県横瀬町

 御真言 おん しゃれい しゃれい じゅんてい そわか

 御詠歌 父母の 恵みも深き 語歌の堂

     大悲大慈の 誓いたのもし

 

 

6 向陽山 卜雲寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県横瀬町

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 初秋に 風ふき結ぶ 萩の堂

     宿かりの世の 夢ぞ覚めける

 

 

7 青苔山 法長寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県横瀬町

 御真言 おんまか きゃろにきゃ そわか

 御詠歌 六道を 兼ねて巡りて 拝むべし

     また後の世を 聞くも牛伏

 

 

8 清泰山 西善寺 十一面観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県横瀬町

 御真言 おんまか きゃろにきゃ そわか

 御詠歌 ただたのめ まことの時は 西善寺

     きたりむかへん 弥陀の三尊

 

 

9 明星山 明智寺 如意輪観世音菩薩 臨済宗南禅寺派      埼玉県横瀬町

 御真言 おん はんどめい しんだまに じんばら うん

 御詠歌 巡りきて その名を聞けば 明智寺 

     心の月は くもらざるらん

 

 

10 万松山 大慈寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県横瀬町

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 ひたすらに 頼みをかけよ 大慈寺

     六の巷の 苦にかはるべし

 

 

11 南石山 常楽寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おんまか きゃろにきゃ そわか

 御詠歌 つみともが 消えよと祈る 阪ごおり

     朝日はささで 夕日ががや

 

 

12 仏道山 野坂寺 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 老の身に 苦しきものは 野坂寺

     いま思い知れ 後の世の道

 

 

13 旗下山 慈眼寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 御手に持つ 蓮のははき 残りなく

     浮き世の塵を はけの下寺

 

 

14 長岳山 今宮坊 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 昔より 立つともしらぬ 今宮に 

     参る心は 浄土なるらん

 

 

15 母巣山 少林寺 十一面観世音菩薩 臨済宗建長寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

 御詠歌 みどり子の 母巣の森の 蔵福寺

     ちちもろともに ちかいもらすな

 

 

16 無量山 西光寺 千手観世音菩薩 真言宗豊山派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん ばざら だらま きりく

 御詠歌 西光寺 誓いを人に 尋ぬれば

     ついの住家は 西とこそ聞け

 

 

17 実正山 定林寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

 御詠歌 あらましを 思い定めし 林寺

     かねききあへづ 夢ぞさめける

 

 

18 白道山 神門寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 ただたのめ 六則ともに 大慈をば

     神門にたちて たすけたまえる

 

 

19 飛渕山 龍石寺 千手観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん ばざら だらま きりく

 御詠歌 天地を 動かすほどの 龍石寺

     詣る人には 利生あるべし

 

 

20 法王山 岩之上堂 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 苔むしろ しきてもとまれ 岩の上

     玉のうてなも くちはつる身を

 

 

21 要光山 観音寺 聖観世音菩薩 真言宗豊山派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 梓弓 いる矢の堂に 詣で来て 

     願ひし法に あたる嬉しき

 

 

22 華台山 童子堂 聖観世音菩薩 真言宗豊山派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 極楽を ここで見つけて 童う堂

     後の世までも たのもしきかな

 

 

23 松風山 音楽寺 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 音楽の み声なりけり 子鹿坂

     調べにかよう 峰の松風

 

 

24 光智山 法泉寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 天照らす 神の母祖の 色かえて

     なおもふりぬる 雪の白山

 

 

25 岩谷山 久昌寺 聖観世音菩薩 臨済宗南禅寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 水上は いづくなるらん 岩谷堂

     朝日もくなく 夕日かがやく

 

 

26 万松山 円融寺 聖観世音菩薩 臨済宗建長寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 尋ね入り むすぶ清水の 岩井堂

     心の垢を すすがぬはなし

 

 

27 龍河山 大渕寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 夏山や しげきが下の 露までも

     心へだてぬ 月の影もり

 

 

28 石龍山 橋立堂 馬頭観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あみりと どはんば うん

     はった そわか

 

 

29 笹戸山 長泉院 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 分けのぼり 結ぶ笹の戸 おし開き

     仏を拝む 身こそたのもし

 

 

30 瑞龍山 法雲寺 如意輪観世音菩薩 臨済宗建長寺派

     埼玉県秩父市

 御真言 おん はんどめい しんだまに じんばら うん

 御詠歌 一心に 南無観音と 唱えれば

     慈悲深谷の 誓いたのもし

 

 

31 鷲窟山 観音院 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県小鹿野町

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 深山路を かきわけ尋ね 行きみれば

     鷲のいわやに ひびく滝つ瀬

 

 

32 般若山 法性寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県小鹿野町

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 願はくば 般若の船に のりを得ん

     いかなる罪も 浮かぶとぞ聞く

 

 

33 延命山 菊水寺 聖観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県秩父市

 御真言 おん あろりきゃ そわか

 御詠歌 春や夏 冬もさかりの 菊水寺

     秋のながめに 送る年月

 

 

34 日沢山 水潜寺 千手観世音菩薩 曹洞宗

     埼玉県皆野町

 御真言 おん ばざら だらま きりく

 御詠歌 萬代の 願いをここに 納めおく

     苔の下より 出づる水かな

 

 

 別当寺とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のことである。

 神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を別当(社僧ともいう)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と言い、神宮寺、神護寺、なども同義。

 

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著言

 “ひと”はどんなに頑張っても歳を重ねれば、其れなりに体力は落ちてくる。脳味噌の活動もそれ相当だろう。

 体力も脳味噌も何れは衰え、五十歳六十歳代の延長で、七十歳代は乗り切れないで有ろう事は、薄々想像が付く。

 既に経済活動と文化活動からは手を引いたが、只其れだけでは、これから先のことに上手く対応できる筈もない。

 今后の歳月は、足腰と脳味噌に合わせて、程々有為な時間を過ごそう。それの手段として、執筆を撰んだ。かと云って直ぐに執筆が出来る筈もなく、其れなりに学習が必要となる。

 其れが則ち、此から始まる巡礼記の執筆で有る。

 何れこの様な暇で空虚な時が訪れることを承知して、何処か!何処か!と、思いを巡らせ、結局然したる理由もなく、日帰りできる場所として秩父三十四ヶ寺巡礼を撰んだ。

 松戸から上野、上野から上越新幹線で熊谷へ、熊谷で秩父鉄道に乗り換える。このコースなら時間も程々だが、東京を通過するので採用しなかった。

 何故なら、「東京直下型地震」「富士山噴火」「異常な湧き水」「何時起きるか判らない」、此には参った。死ぬのは嫌だ!わざわざ危険なところに出かける必要も無かろう!

 東京を通過するのが嫌だから、少し遠回りだが、武蔵野線で武蔵浦和・・・大宮・・・熊谷・・・秩父のコースとした。

 年寄りは遠回りすることが、却って好都合なのである。

 宗教心はないが、何はともあれ順番があり際限がある!此が秩父を撰んだ最大の理由だろう。

 著者は老躬漫歩として、秩父・坂東・四国・寺社の四巻を上梓した。これらの巻は、寺社を参拝して朱印を戴く・・・・、半ば観光案内の様なものだが、其れだけでは面白くもない。

 稿を起こすに必要な情報を探っている中に、宗教に無関心な著者には、無関心な人なりの情報が集まった。

 集まった資料を、一つの趣旨の下に案配した。

 秩父巡礼では、ただ寺を廻っただけ・・・・・・・・・・・・・

 坂東巡礼では、仏教が渡来してからの立ち回り・・・・

 四国巡礼では、仏教各派の思想を掻い摘む・・・・・・

 寺社奉拝では、神道と仏教の比較と本質・・・・・・・・・

 この四巻を通読すれば、宗教とは・・・・・信仰とは・・・・・が、客観的に、考察することが出来、而も信仰の有無に拘わらず、重厚多彩にして幽玄な日本文化の恩恵を知るであろう。

 

 

 納経帳 参拝の都度揮毫と寺印を戴く

 一つずつ増えてゆく揮毫と寺印が、凡夫の達成感を擽る。

 

 ただ歩いて居るばかりでは面白くないので、少しは頭を使おう。計算は老化防止に良いと云うが、何時も同じ電車に乗り、食事の回数も殆ど同じで・・・・・・・、使ったお金の計算は何時も殆ど同じで、此では殆ど頭を使わない。

 旧跡地に行くと古い道標がある。江戸まで五里とか、頂上まで八丁とか・・・・・此は距離を謂っている。

 巡拝案内図を見ると、○○bとの記述がある。此を頼りに歩を進めるわけだが、案内圖通りの道を歩むとは限らない。概ね○○丁歩いたかを体感測する。依って紙面記載の距離は、著者の体感測値なので余り当てにはならない。

 実測値と著者の体感測値の隔たりが大きければ、

元気が良かったのだろう・・・・・

草臥れていたのだろう・・・・・・・

 巡拝記を書くのに、案内図に凭れていては能がないので、この数値を尺貫法の距離に換算し、文章には尺貫法の距離を書く。

 書くには其れだけ余計な手間が掛かる。読むにも其れだけ余計な手間が掛かる。人生を振り返れば幾十年、無駄の積み重ねの様なものだから・・・・・・・

 

 尺貫法とメートル法の距離関係概略

【註】尺貫法による長さの基準は徳川時代まで一定していなかった様だが、明治以降下記のように定められたと聞く。間と丁と里に相当する m はあるが、敢えて記載しない。因みに重量は十進法である。

一寸=10分=百厘

一尺=10寸=10/33 m 概ね30p3o (尺までは十進法)

一間=6尺

一丁=60間

一里=36丁    (尺から里までは六進法)

 尺貫法を用いると、何となく昔に戻ったような気分になるが、此は何も大昔のことではない。著者は敗戦の年(昭和20年・1945年)に小学校入学だが五六年生までは尺貫法が用いられていた。

 建築関係の在来工法では、今日でも尺貫法が用いられている。何故かと言えば尺貫法は六進法と十進法で構成されるので、端数が少なく暗算に便利である。なお三角関数にも対応しており、三角関数が暗算で対応できる。法務局(登記所)に保存されている旧来の公図は、六百分の一の縮尺で、其れは一間を一分に縮小した結果である。

 子供の頃、著者の身長は四尺二寸だったし、体重は八貫目で小学校までの距離も三十五丁で有った。子供の頃からメートル法対応の、壮年以降の方なら仕方ないが、七十歳以上の方なら、実社会で少なからず尺貫法を使っていた筈である。いま尺貫法が解らないのは、脳味噌が劣化したからだろう。(いまでも炊飯器は一合二合と云い、清酒は一升二升と云う)

 「秩父三十四観音巡礼」では畏れ多いので、私情を加えて「秩父巡礼記」とした。

 と・・・白状します。何を隠そう著者には、宗教の云々が、皆目解からないのである!

 余技として、長年に亘り漢詩詞に傾倒し、その集大成として“中山逍雀漢詩詞講座全12巻”を、やっとの思いで五月に脱稿した。

 今日は平成24年8月3日。脱稿後の二ヶ月余り、何もすることが無く、炎天下での草取りや庭木の手入れ等あれこれと・・・妻に、良く気が付くようになったね!と好評だが、心中に空虚なものがある。

 宗教のあれこれは解らないが寺院参りは好きで、(朱印の数が増えるのに釣られて)四国は二巡、坂東は一巡、関東百観音は少し廻ったが、自動車を利用しなければ成らず、年齢のこともあって中途退却した。

 秩父34観音は、電車で行けることと、ゆっくり自宅を出ても、昼食頃に秩父に到着し、昼食後二ヶ寺を目途に廻り、夕刻には帰宅できるので、老生には打って付けの心と体の健康コースだ!とは、昨年頃から目を付けていた。

 若い頃なら“十七日も要してしまう”!と、回数の多いことを苦にしたが、今では“十七日も行ける”!と、却って喜びに成った。

 著者は会社務めでなかったから、気儘に生きた。だから生計に囚われない今でも、家に閉じ籠もって居るのは嫌いだ。

 年寄りの行き倒れは殊の外多く、自分の事なので何処へ出かけても良いと思うが、自分で条件を付けた。

 自動車はダメ!

 遅い帰宅はダメ!

 独りでの投宿はダメ!

 お好きなように!と言われたとしても、差ほど自由ではない。

 結局、日帰りの出来る“秩父三十四観音巡礼”に落ち着いた。

 宗教心も分からない唯のジジイが何を書こうというのか!!

 先ずは見聞きしたことを書こう・・・

 次いで写真を撮ろう・・・・、以前“乗り鐵”を一念発起して・・・・、一眼レフを買ったが、何を撮っても自分手でも呆れるほど下手糞で、今度は少し上達しよう。

 何時も屁理屈が多い!と言われる!

 思いっきり屁理屈を書こう。

 人生七十年余、職歴転転として、交際も多岐で、人生経験は豊富だ!実体験に基づいた真面目なことを言っているのに、屁理屈と言われることも多い。

 第一歩を踏みだそう!と思っていたのだが、暇が却って禍して、最初の一歩が踏み出せなかった!

 平成24年7月10日、漸く第一歩を踏み出した。

 これも何を隠そう、七月十日は観音様の御利益日だと、誰かに聞いたからだ。(一千日或いは四萬六千日分の御利益日)

 一巡した頃には、今より少しは人間が出来て居るかな!

 もしそうなったら、其れこそ観音巡礼の功徳だろう・・・・

 

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【由緒】

秩父三十四所観音巡礼

 縁起によると、文暦元年(1234)に、閻魔大王・倶生神・花山法王・性空上人・春日開山医王上人・白河法王・長谷徳道上人・良忠僧都・通観法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王権現・熊野権現の十三権者が、秩父の魔を破って巡礼したのが始まりという。

 現存最古の資料は、法性寺蔵「長享二年(1488)秩父観音札所番付」であり、大棚観音が欠けた三十三所で、番付は定林寺から始まる。これは、現在の秩父市中心部にあたる、大宮郷の人々を対象としたものだったことを示している。

 十五世紀初め、大棚観音が加わることを主張して三十四所となり、その打開策として日本百観音巡礼を提唱し始めた。江戸時代に入って、札所番付を江戸向きにすることにより、我が国を代表する巡礼の一つになる。

 開創から江戸期までは修験者が中心だったが、その後は禅宗寺院が札所を支配し始めて、現在の形態になっていった。また、江戸時代中期ごろから、総開帳や江戸での出開帳が見られるようになり、現在も午歳総開帳がおこなわれている。

 バスの時刻を確かめて置くことが肝要である。

 乗り過ごすと直ぐには次のバスは来ません。

 

 

秩父三十四観音巡拝一番札所 四萬部寺

巡拝第一歩の寺院なので感慨無量

巡拝折り返し 第十八番札所 神門寺

 

秩父三十四観音巡拝結願札所 水潜寺

結願なので感慨もひとしお

 

第六番卜雲寺境内より下界を見る

 

二十四番法泉寺途次 武甲山遠景

 

二十五番 弁天池と寺宇

 

秩父は彼方此方に歌碑がある文化香しき郷

 

私達は八百万の神々に守られている

寺も多いが社も多い

 

三峯山途次にある「三十槌の氷柱」

写真は自然の氷柱だが、此に続く右側に、人工の氷柱がある。

 

市街地から少し離れると、ゆったりとした里山が広がる

 

 

 八番 清泰山西善寺 本堂前の黄葉(県指定の天然記念物樹齢500〜600 コミネカエデ)

悠然と流れる荒川は、里人に幾多の試練と豊かな稔を齎す

 

 

秩父織物商工会 秩父めいせん館

   養蚕と絹織物は曾て秩父の一大産品で、銘仙は有名を馳せたが、時代の趨勢に抗しきれず、歴史保存される立場と成った。

   市内には幾軒かの織り元が有ると聞き及ぶが、技能の継承に甘んずると聞く。

 

【屁理屈】

 早速の屁理屈・・・生まれてくることは、自分にはどうすることも出来ない! だが、原爆でも流感でも、逃れた人はいる・・・・・

 だが死ぬことだけは、誰も逃れられない。何時になっても死なない“ひと”は居ない。死には“人”としての死と、肉体の死がある。

 死んでいるのに死ねないのは生き地獄だ!

【注】

 34霊場巡礼の記事は、巡拝の際に収集した観光案内や寺院案内、寺院縁起などを、ほぼそのまま転記したものです。

資料には伝記も伝奇も誤謬も虚構も多数あり、これらの真偽判別の作業は為しておりません。

 依って記事には誤謬や虚構(現実には存在しない物事)も記されています。記載記事を信ずる(自分では考察に基づいた判断をせずに、鵜呑みにすること)か否かは、ご自分の責に因ります。

【屁理屈】

 勝てば官軍と云うが、“力”のあるものの言い分が正当となる。

 人は蟻より“力”が強いので、

 人は蟻を踏みつけて殺しても、

 人は蟻に對して自責の念を持たない。

 

 狩りをするのも、釣をするのも、相手は阿鼻叫喚を呈するのに、“ひと”は単なる娯楽にしか考えていない

 毛虫が居た、ただ気に入らないと云うだけで、殺虫剤で殺す!

 

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秩父三十四観音巡礼板東三十三観音巡礼四国八十八霊場巡礼日本全国神社礼拝

平成20年1月22日掲載