ginseikunC-01 1999-10/11

人が沢山居ると其れだけ煩わしくなる。 煩わしいとストレスとなる。 誰もいなければ、自分だけが頼り。 自分を見つめる。 一人になって初めて自分が分かる。 犬猫のように生きるか。それとも・・・・・・お金は物欲は満たしてくれるが、人生を満たしては呉れない。

牧場の朝

 嘗て茨城県内で酪農業を営んでいた。
 牧場を経営していると言うと、友達から羨ましがられたものだが、実体はそんななま易しい職業ではない。牧場には何種類かの形態があって、先ず家畜の種類によって牛馬羊などの牧場がある。牛では牛乳を生産する「酪農」業者と、肉を生産する「肥育」業者が有る。更に肥育業者に肥育元牛を供給する「育成」業者がある。

 ゆったりと草を食べ、牧場の風景を演出する放し飼いは、ミルクを生産するホルスタイン種と、肥育元牛を生産する肉牛種(主に和牛)育成の2業態がある。

 テレビで見る牧場は心休まる空間という感じを受けるが、事業となると心休まる空間などと云うロマンチックとはほど遠い空間だ。一言で言えば酪農は儲からない。そして更に3Kの代表選手の様な職業で有る。牛の糞と小便にまみれ、更に蝿が居ることはウジムシが居る事で、365日親が死んでも子が死んでも休み無しでは、懲役よりももっと酷い。だから3Kに見合う賃金を支払っていたら直ぐに倒産してしまう。

 スーパーで売られている牛乳は水より安い!生産者は水よりもっともっと安い価格で出荷しているのだ。「犢」は生まれ落ちた時でも30から40キロもある。牛の子供は牛偏に賣と書くが、文字に似合わず値段は3千円(平成10年の実勢価格)にも成らない。猫の子よりも安い。

 致し方なく爺ちゃん婆ちゃん母ちゃん姉ちゃん兄ちゃんを低賃金でこき使って、やっとみんなで三度の飯に有り付いて居るのが本当の姿なのだ。

 女房の助けがなければ仕事が出来ぬ意気地なしには成りたくないし、爺ちゃんも婆ちゃんも居ないから、他人をただで使う事にしたのだが、3Kをただで働く人など居るはずがないと思うだろう。尤もな話だが世の中は広いもので結構ただで働く人が居る。誰彼無く宿食の提供が出来る施設と、著者の口八丁を駆使して其の目的は達成された。
 以下はその実状である。

 給料を払って居たのは臑に傷持つ数人の従業員だけで、あとは宿食と些少の小遣い銭だけの総勢では20人程の若者だ。ここに居る者は同じ飯を食っていたが、各自各様の目的があって、岩手と福島県内の幾つかの農業高校から酪農実習の単位取得の為に常時数人ずつ派遣され、更に酪農技術の取得を目的とする農家の子弟が農協の斡旋で屡々参入していた。更に近くの寺の住職が保護司を拝命していたので、保護観察付き少年が社会に馴れる為に暫し月日を過ごしてもして居た。

 どこで聴いたのか?知らないが、時折珍入者がある。宿舎は余っているし食事と些少な小遣いだけなのだから、来る者は拒まず!
 弱虫で行き場の無くなった入れ墨者が、ひょっこり現れ一宿一飯の頼み込が、一宿一飯では済まず数カ月逗留する。

 浮気か不倫か?何れにせよ二人手に手を取り合って逃げてくる。幾ら平静を装っても誰が見たってすぐ判る。歌の文句じゃないが、本人は本気かも知れないが、はたで見ていると結末が判っているだけに実に滑稽だ!

 安い経費で労働力を調達するには、それなりの苦労もいる。でも其れをしないと酪農経営は成り立たない。此ほどの雑多な人を無給で束ねて行くにはそれなりの技術がいる。人はそれぞれの要求を満たしてくれる人に魅力を感じる。それはお金ばかりとは限らない。

 給料を払っていないから金の魅力は通用しないし、私の懐がもたない。ただで宿食者に魅力を提供するには、彼らの求める知識の提供しかない。これなら口と紙と鉛筆が有れば用足りる。

 知識は一度提供して仕舞えば二度目は陳腐で魅力は無くなってしまう。だから常に補完を実施しなければならない。其れには活字による摂取が尤も効果的で安上がりだ。云うのは簡単なことだが、旺盛な探求心に応えられなかったら次回から若者は確実に来ない。若者が来なかったら牧場は直ぐに潰れる。

 


1999-10/24
農業高校生

 牧場に彼らが実習に来るときは其の前兆がある。

 実習生が帰り際に次は誰々と誰々が来ます!と云う。私にとってはこの言葉を聞くときが一番辛い。なぜなら彼らは日々求めている質問に事業主が答えてくれているか?私の魅力を逐一次の候補者に連絡しているからだ。

 数日して運送屋が数人分の飯米と寝具を配達してくる。後を追って数人の作業衣姿の学生が、お世話になります!と坊主頭を下げる。でも直ぐに語りだす。まるで昨日まで居た彼らの同僚であるかと間違えるほどに。彼らは既に私の情報をインプット済みなのである。

 農業高校生は実習があるので半寮生活をしている。家畜の管理は昼夜の区別がないし、農作物の収穫は朝が早いので交代で寮生活をしている。

 時折農業高校の話題がテレビに登場するが、彼らは決して秀才ではないが、探求心と生物に対する愛情は人一倍持っている。農業が何の捉え所のない自然の中から創り出す作業で、然も創り出す物が自分と同じ生命を持っている。言い換えれば自分の仲間を創り出すのだ。

 自分が毎日食べている食材を非農家や都会人は単なる食材、有機物の集合体との認識しか持っていない。然し私たちが毎日食べている食材は、自分と同じ生命を持って、数日前まで走り回って居たり葉を茂らせていた生物なのだ。

 一寸昔、猿の惑星と言う映画があった。私は子供達に話したことがある。これは空想話ではないんだよ!たまたま自然環境がヒトに適合しているから蔓延って居られるだけなのだ!もし地球に一年雨が一滴も降らなかったら人は恐らく全滅しているだろう。

 人が少し優位なばっさかりに、勝手に他の生物を殺して食べているのだ!其の事を普通科の高校生や都会人は全く意識しないだろう。多分自分たち人類は万物の長で、生殺與縛は当然として何の躊躇も持ち合わせていない。然し彼ら農業高校生は違うのだ!生物は総て並列な存在である!と言う。だから動植物を自分の家族と区別しない。

 余談に逸れるが、人間関係の虐めは、人類は万物の長で、生殺與縛は当然という思想から、弱い者を差別することは当然と云う図式が成り立つ。だから人類は万物の長という思想を無くさない限り、基本的に虐めは無くならない。

 犬猫を愛玩する人が居るが、かまわないよりは良いが、この事と生物は総て並列な存在とはとは全く意義が違う。愛玩はあくまで愛玩で基本的に上下の関係がある。並列な関係でも売りもすれば殺しもする。何処が違うか?基本的意識の違いである。

 話が逸れに逸れて誠に申し訳ない。

 さて、学生の求めているのは実地に即した新しい技術と物事に対する幾通りもの価値観で有る。彼らは親や先生からしょっちゅう「あんたはこれ!」「これはこれ!」とあれこれ指図され、うんざりすると同時に遠隔操作のロボット宜しく自分では行動を起こせない体質も少しずつ持ち始めていた。

 そこへ全く価値観を異にしたおっちゃんの登場だ!彼らをガンジガラメにしてきた縄目が解け、新しい自分を見つけだすことが出来る。何しろ此処には人生の教材は沢山あるのだから!農業に真剣に取り組もうとする青年・弱虫の入れ墨者・不倫で逃げてきた男女・放蕩息子・保護観察付き少年などなど。

 不倫で逃げてきた男女など、滅多に目にすることが出来ないが、此処ではちゃんと末路まで見届けられるのだから、人生勉強にはこれ程良い教材はない。

 

 


1999-10/30
河川敷を耕す

 利根川河川敷に牧草を耕作して居た事がある。巾は50メートル程、長さは500メートルだった。
 東京と竜ヶ崎に何度も何度も通って建設省の河川管理課の許可を受けて使用する。大分厄介な手続きだが、諦めずに手続きを進めれば何れは確実に許可が下りるのだから、先の見えぬ民間の事よりはずっと確実な事だ。

 一歩河川敷に立ち入ると、土手の上から看ていたのとは大分様子が違う。凸凹だし、立木はあるし、蛇はいるし、穴はある。

 だが悪い事ばかりではない。土地がとても肥えている。肥料を全く施さなくとも、牧草大豊作間違い無しだ!上流の田畑の土が流れてきて、吹き溜まりのようだ。吹き溜まりは条件は悪いが福もいつぱい埋もれている。無肥料で作物が出来るなどとは、酪農家にとってはこのうえない福だ!

 河川敷は形状の変更は許されない。ブルドーザーで整地するなどと云うことは出来ない。有るが侭の姿で利用するのだ。

 先ずはトラクターを入れて耕すのだが、葦や楊が生い茂って先が見えぬ。目先の状況にばかり気を取られていると、何処へ到達するか見当も付かない。紆余曲折しながら、曲折の侭で、気が付いたら水辺に出て仕舞って、ニッチもサッチも行かなくなる。

 だが500メートル先に目標物を決めておけば、目先の障害を避けつつ、どんなに紆余曲折しても、何時でも目標に向かっていて、最後にはちゃんと目標地点に着くことが出来る。

 先まで耕したら今度はもと来た所へ戻る。耕された所に添って戻れば良さそうだが、これがあながちそうでもない。一度目と二度目は状況が違うので、前の跡を辿ると、余計なことをしたり足りなかったりする。二度目と雖も矢張り到達点の目標を定めて、前の跡は参考にするが頼りっきりにする事はしない。こうすると無駄無く目標点に当地達する事が出来る。

 農業高校の若者は好奇心が旺盛で理解も早い。早速人生訓を垂れる。
 1−確実に結果が得られることなら、手数の掛かることなど苦にすることはない。

 2−外から見たことと、実際にその中に入って見るとでは違う事が多い。

 3−吹き溜まりは悪い事も多いが良いことも多い。

 4−現状を受け入れて対処することも大切だ。

 5−当面のことに一生懸命になる事は必要だが、其れには到達点の一里塚と云う認識が必要だ。其れがないと、一生懸命に事に当たっても、良い結果が得られるとは限らない。人生に例えて云うなら、職を離れた時の有るべき姿を目標に定め、30年後、10年後、5年後、1年後の有るべき姿に目標を移して日々生きれば、最も効率よく、大過無く目標に近ずく事が出来る!

 6−先賢は人生の道しるべと成ると言うが、過去と現在と未来では状況が違うのだから、余り頼りすぎると思わぬ方向へ向かって仕舞う事がある。参考にするのは良いけど、頼るのは良くない。
 トラクターは行ったり来たり、何度でもやり直しがきくが、人生は一度っきりでやり直しが出来ない。

 

 


1999-11/9
保護観察少年

 牧場があった同じ町内の寺の住職が保護司を拝命している。

 どういう経緯で来るかは知らないが、社会に馴れるために一時期牧場を利用するのだろう。現実はどうか知らないが、牧場にはそんな人を受け入れ易い風評が有るようだ。

 住職さんから支配人に連絡があり、明後日午後1時に住職さんと当事者が来るそうなので、顔を出して下さい。それから何時も云いますが、すこしサッパリした服を着て下さい。余計なことを付け加えた連絡が入る。

 定刻にロボットのような少年と、しょんぼりとしてはいるが気の強そうな母親と、住職さんが現れる。

 住職さんが決まり切った話題を持ち出す。母親が其れに応える。少年がうなずく。私は漠然と聴く。漠然とは不謹慎なようだが、どうせ聴いたってどうにも成るものでもないから、ただ漠然と聴くのが最も良い方法だ。

 個人のプライバシーの問題を多分に含むし、どうでもない事は直ぐに忘れる。覚えているのは名前の秀明君だけだ。

 余談を挿むと、著者の脳味噌は必要なことは覚えて居るが、其れほどでも無いことは直ぐに忘れて仕舞い、自分自身でも呆れているがどうにも成らぬ。でもこんな悪い脳味噌でも利点はある。都合の悪いことは直ぐに忘れるので余り悩む事が無くていつでも気が楽だ。

 先ず挨拶に来るのは母親で、どの父親も顔を見せたことがない。何の役にも立たない少年を預かるのだから、少しは礼儀を尽くしてはと思うが、父親が居るのに父親は顔を出さない。

 父親は、僕は忙しいからお母さん貴方が行って来なさい!と云って居る事が母親の挨拶で判る。父親は我が子のために頭を下げる事をしない。子供を棄てたこと歴然。

 母親は少年に、貴方は何も悪くないのよ!あっちが悪い!こっちが悪い!電信柱の高いのは母さんのせいよ!と、殆どの母親が同じ事を云う。

 少年を預かると云っても私は何もしていない。賄いのおばさんに一人増えたよ!宿舎は、ここ!と指さすだけだ。

 この牧場に居る人は総て個人的な目的のために居るので、他人には全く関心がない。ただ相手に魅力が有るかどうかが価値の基準だ。労働力は余っているので、従業員も彼らに仕事の段取りは教えるが、命令はしない。

 どんな怠け者でも3日以上はサボれない。誰も口を出さないが、其れがかえってサボることをバカバカしくして居るのだろう。

 精神的に丸裸な若者が一つ釜の飯を食う。皆貪欲に情報を吸収しようとするが保護観察少年だけは別である。母親がぎっちりと鎧を着せたから、若者のエネルギーを吸収する事もできないし、自分の心の内を他人に見せることもしない。

 たまには少年に説法でもしないと住職さんに申し訳ないので、皆を交えて討論などをするが、母親のバリアが強烈で、空返事と空笑みでその場を逃れる始末。

 農業高校は就職に直結しているので社会には敏感で、保護観察少年にも、殊のほか興味を示す。年頃も同じなので鎧の紐を解こうと必死に挑戦するが、仲仲効果が上がらない。

 偶には鎧の紐が解ける時も有って、この場合は一日で全く違った人格になるのですぐに判る。違った人格になると云っても、普通の少年と同じになる事である。

 彼をグルグル巻にしていた包装紙が取り除かれて、中身が出てきたと云う事だろう。僕はバカなんだ!僕は意気地なしなんだ!本当の自分が判ったときに自立した気持ちとなる。

 カーリングと言うスポーツがある。重さ20キロほどのアンパン型のストーンを氷の上で滑らす競技だ。石の滑って行く先を箒でせっせと掃いてやる。石はその道を何の抵抗もなく滑って行く。

 お父さんが息子をポンと押し出してやる。後はそっぽを向いてしまう。母さんがせっせと道作りをする。奇麗な綺麗な道を。何の労力もなく自分の意志とは関係なく掃き清められた道をただ滑るだけ。母さんが掃くのを止めたらもうどうする事もできない。みんな母さんのせいだ!?

 帰り際に母親は云う、私の息子が居て大分役立ったでしょう!と。母親の着せた鎧を着ている少年など何の役にも立たない。世話が焼けるだけだ!母親ももう少しは自分以外の世界のあることを知って欲しいものだ!

 身に付けて行くものもないが措いて行くものもない。ただ期間が来れば静かに去って行くだけである。

 預かった保護観察付き少年の殆どは、父親が「僕は忙しいんだ」と詰まらぬ理屈を付けて、子供を母親に押しつけて責任逃れをし、ちくりちくりと母親を攻めるので、その結果母親の過保護過干渉が出て非行に走った。

 子供を作るのは一人では出来ないのだ!育てるのも一人では育てられない!大根は不作だったら明年亦作ればよい!

 


1999-11/19
飽きっぽい青年

 彼は鹿島町の出身。人づてに男の子を一人牧場で雇ってくれないかと云う。トラクターの運転もできるし体も人一倍大きいという。

 人を雇い入れるだけの余裕も無いので返事をしなかったら、父親が尋ねてきて、息子は何処へ就職しても長続きしなくて困って居るんです。雇って貰えませんか?

 慈善事業じゃないんだ!意気地なしで役立たずの息子なんか雇える訳けないだろう!

 父親の気持ちが分からない訳ではない。我が子が一人前に成長してくれる事が最大の目的なのに、其の息子が意気地なしで家で毎日ブラブラされては、育て方が間違って居たのでは?などなどで気の休まる時もないだろう。

 父親の云うのには、家でブラブラされては目障りだから置かしてくれと云うので、では御勝手に!

 人の心は其れほど強くはなく、寄らば大樹の蔭と云う言葉がある様に、人は弱いから群を作る。鶏頭と成るも牛後となる勿れと云って、一人で世渡り出来るのはほんの少しで、然も其の殆どは手に職を持っている人に限られる。

 殆どの人は企業の一員になる事を前提に学業に励み、集団の一員として人生を過ごす。子供でも大人でも葛藤は有るから、辛抱をする精神力は要求されるが、其れに耐えられない者は転職をする。

 然し転職したからと云って、人が居ない訳ではないから、無人島で一人暮らしをしない限り、人間関係から解放されることはない。人と人との関係は生きて行く以上絶対に逃れられない現実である。

 企業にいれば、上にいれば下のことで気を患はせ、間にいれば上下で気を患はせ、下っ端ならそれはそれで気を患はせる事は山ほど有る。何れにせよ、人間関係で辛抱するばかりで自分を思いっきり主張する機会がない。結局家に帰って家族に当たり散らす。根性無しの典型的パターンだ。老父母を虐めたり女房子供を虐めたりして、他人を煩わせる。

 甘やかされて育った若い世代では暴力亭主が3人に1人は居るそうだ。女性受難の時代である。オートバイを乗り回す少年もいる。これも同じ根だろうが老父母を虐めるのとどっちがましか??

 彼は、数日ボンヤリして居たが、自分からどんどん働き出すようになった。嫌みを云う人も居ない代わりに魅力がなければ耳を傾ける者も居ない。自分の魅力が総てを支配する空間だ。

 人は心を着飾って良く見せようとするから、中身を覗かれないかとビクビクする。自分はバカなんだ!意気地なしなんだ!と自分の本当の姿を知れば、後は気楽になる。話は逸れるが、世の中プライバシー全盛だが、私の家族は親子含めてそんなことを思ったこともない。なぜかって!私のも女房のもお臍は一つだし、例え二つ有ったにしろ人様に迷惑を掛けるものでもなし、人様がどうしてくれるものでもなし、親の遺言だから人殺しと泥棒はしていないから、人様に知られて困ることなど何もない。

 話をまた元に戻そう。此処では人の魅力が総てだから、最初から中身はお見通し、着飾ったって何の役に立たないことを嫌でも知らされる。

 だいたい牧場などと云う場所は、自分たち以外誰も居ない所だから、服装だって自分勝手、パンツ一枚で牛糞まみれ。これでは自尊心なんかとうの昔に吹き飛んでしまう。

 此処にいるのも辞めて行くのも自分勝手となれば、自分の精神が総てだ。もう世の中に恐いものなど何もない!

 半年ほどして彼は職場を探して出ていった。一年ほどして本人と父親が近況報告に来た。誰も彼も持ち合わせている一物だって同じじゃないか。もう人の嫌みな言葉など全く気にならなくなったと云う。二人に礼を言われた。礼を言われる様な事は何もしていない。放ったらかして置いただけなのに!

 


1999-12/3
信念に燃えた青年

 酪農が儲からなくて更に3Kなのに其れを選ぶ青年はいる。

 何処でどう聞いたかは知らないが、牧場宛てに聴いたこともない農協から封書が来る。酪農業を学びたい青年が居るので技術の指導をしてくれないか?と。いつも同じ返事をする。私には人を指導する能力はないが、福島県の○○農業高校と岩手県の○○農業高校の生徒さんが実習に来ているので、学校で私のことを尋ねてから実習先を決めてはどうですか?

飯米と寝具は運送屋が一足早く届けられ、身の回りの物を入れたボストンバックを下げて、父親の手紙と農協の紹介状を持参したとても礼儀正しい青年が現れた。

 彼ははっきりとした口調で福島県福島市在住の斉藤良雄と申します。

 私のことは地元農協からお聞きと思いますが、ご主人様に父からの手紙を携えて参りました。宜しく御願いを致します。

 彼の家は地元では中農で、どうやらこうやらの生活のようだ。彼の礼儀正しさの基は自衛隊にいたことに依るらしい。

 一年ほど前まで千葉県習志野駐屯地にいて、落下傘部隊だったそうだ。トラックで同じ千葉県にある海上自衛隊下総基地まで行き、そこから飛行機に乗り込み、習志野駐屯地上空で飛び降りるそうだ。

 スポーツの落下傘とは格段の技術差が有るようで、地上からの銃撃に曝されながらの降下が想定され、優雅に降りては命が幾つ有っても足りないと。地上すれすれまで開かずに降下して、ぎりぎりで開傘するそうだ。

 聞いた話はこれほどにして、一人で技術を学びに来る青年は、他人に頼る事を嫌い、旺盛な探求心で時間が勿体ないとばかりに質問を雨霰と浴びせる。

 彼に必要なことは、酪農の飼育技術よりも事業者としての知識の方が重要だ!複式簿記の知識と不動産関係の法律知識を高校生を交えて教えた。彼の頭は抜群で現役の学生も歯が立たぬ。何しろしつこく聴く。スポンジで少しの水を吸い取るようだ。

 相手の言葉をまともに聞かぬ人が多いご時世、スポンジで少しの水を吸い取られる感覚、尋ねられる者としてこの上ない快感だ!

 言葉には言霊が宿ると言うが、言霊がドンドン吸い取られて、私の頭の中がすっかり空っぽとなる。又詰め込むぞ!と意欲が湧き出す。

 人生勉強はあの不倫して逃げてきた男女を見れば其れで十分だ!

 余計なことだが青年の家庭環境にも興味を持つ。彼の家庭には子供に対する確たる信条がある。其れは、母親の心細かな愛情と父親の整った方針で、親は良き師で有り、子の話はよくよく聞く。当たり前のようだがこれがなかなか出来ぬ。

 だから師と成るときは前面に向かい合い、普段は常に子の後ろにあって子の芽を摘まない。そして子供に火急が有れば何時も真剣に対処してくれる!これが親への強い信頼感となる。

 此の落下傘青年。1年ほどして帰郷し地元で酪農を始めた。

 後日招かれて行った時、彼の物の考え方が明らかに附近農家の人とは違うと云う印象を受けた。彼は自立していた。

 

 


1999-12/12
駆け落ち

 牧場は誰にでも飯を食わしてくれると思って居るらしい。事実そうだ!私も若い頃知らない土地へ行って、銭が無くて泊めて貰ったことがある。だから牧場には駆け落ち君や不倫君が来ることは決して珍しくはない。ただ此処では飯は食えるが、給料は貰えないので長居は出来ない。

 不倫という言葉はこのごろ映画の題材で人口に膾炙したが、男と女の事は大昔から有ることで、さほど特異なことではない。駆け落ちと書くとさほど惨めったらしくないが、ここに登場する駆け落ち君は、不倫駆け落ち君である。

 ここで二人の名前を別々に書かなかったのは、門を潜った時は二人連れ、暫くは離れの宿舎で二人連れだったので、筆者のせめてもの心遣いである。

 電話が掛かってきて置いてくれと頼む、出来れば保護観察君の教育上宜しくないので断りたいところだが、直ぐ近くの公衆電話からだと云う。三十歳後半の男女、こざっぱりとして居るが苦労の跡を滲ませる。この間出ていった入れ墨君が居た離れの宿舎を指さす。

 聴いたってしょうがないから何も聞かないが、好奇心旺盛な高校生君が、全部聞き出してみんなに披露してくれる。

 話したくない事もいっぱい有るだろうが、話さないと腹の中で腐って仕舞う。此処で話しても謗られる事もないが真剣に聞いても呉れない。ただ風の如く過ぎ去るだけの話題となる。高校生の情報収集能力は大したものだが、だいぶ作文も入っているので、誰もそれ程本気にはしていない。神奈川県の有る町工場の社長の奥さんと其の従業員。従業員は50人強。社長は金が出来たので女を囲った。奥さんは会社の金を持ち出して、従業員と駆け落ちした。でも世間から離れた人は生きていけないことを痛切に知らされたと云う。高校生に限らずこれ程良い人生勉強はない。

 駆け落ちもなかなか難儀らしく、住まいを借りるにも保証人が居るし、働くにも身元がはっきりしなければ、まともなところで働けない。愛が有ればどうにか成るさ!なんて世間を見くびると、とんでもない事になる。結局、行き所が無くて、あっちこっち廻った果てに来たのだろうが、世間に彼らを受け入れるような寛容さはない。

 男女の間も情だけでは成立しない。物心は車の両輪である。移り気を避難するが、コンピユータでもあるまいし、一端入れた情報を指図無しには変えない様なことはない。常に変化することが人の人たる所以である。

 男はただ飯では申し訳ないと学生と一緒に働き出す。女性は賄いおばさんの手伝いをする。賄いおばさんは大喜び。食事は離れに運んで二人でしっぽりと食べる。雨露と三度の飯は食えるが収入がゼロなのだから、此処での生活は全く先がない。

 情と現実とは別物で、飯と雨露を凌ぐだけでは、甘い夢など何時しか霧散して、二三ヶ月の間に連れ戻しに来るところを見ると、どっちかが現実に戻ったのだろう。此の男女も女性が夢から覚めて、中年の紳士と老夫妻の3人で迎えに来た。遺された男は何処からも迎えに来ない。いつのまにか居なくなった。

 駆け落ちの場合も不倫の場合も何れも片方だけが迎えに来て、門を潜るときは二人連れ、出て行くときは一人、置いてきぼりをくったのは男か女か!見る影もなくいつのまにか居なくなる。艶歌はカラオケだけで十分だ!だが実践するバカもいる。

 

 


12/30
三途の川に引きずり込まれた青年

 新潟県から実習に来た農業青年小林君。彼は風邪を引いたと云って、自分で自転車に乗り近くの病院に行った。殺人病院の話は小説で読んだことがあるが、現実にあるとは思わなかった。ところが現実にあったのだ!

 実習生が一人足りないのに支配人が気付いて、仲間に聴くと風邪を引いたので○○病院に昼過ぎ自転車で行ったと云う。病院に駆けつけるとぐっすりと眠っていて、病状が重いので明朝来るようにと云われた。私の所にも電話での報告が為された。

 人様の息子を預かっているので、大病ならすぐにも駆けつけるのだが、風邪だと言うのでさして気もとめず、3日ほどして私が行くと未だ入院しているという。面会時間ではないが此方の都合で勝手に病院に行き、断りもせずに病室に入った。上等な個室で、彼はベットの上に虚ろに座り込んで居た。

 風が酷かったのかと聴くと、自分で自転車に乗って来たのだから鼻風邪ぐらいだった!という。足下もふらつくし何となくぼんやりとして歩けないと言う。

 その時これが薬剤によるものだとは思いも寄らなかった。

 其の帰り道、近くに友人が居るので立ち寄った。わざわざ来たのか?と聴くから、若いのが一人○○病院に入院していると話したら、友人は即座に直ぐ退院させろと言う。

 あそこは殺人病院で有名なんだ!

 そう云われても直ぐには理解できなかった。どう云っても私が理解しないのを見て、以前その病院で看護婦さんをしていた婦人を紹介してくれた。

 友人の車に乗って土浦市内の診療所に案内された。其の看護婦さんは以前○○病院の実態を知ってしまったので、今の診療所に転職したそうだ。

 今の状態では自力で病院を抜け出すことは出来ないだろうから、先ず体力を付けなければならない。

 医者は本人が具合が悪くて脱走できなければ注射を打たないから、デレンとして少しも動けない振りをする。そうすると医者は注射が効きすぎたかと思い注射を打たない。

 粉薬は呉れるが全部窓から棄てて飲まないようにする。ごみ箱に棄てると見破られて今度は本当に動け無くされてしまう。二日もすれば薬が切れて動けるようになるので、普段着に着替えて外来に紛れて逃げ出すと良い。

 彼女の話は現実味があって納得させるに十分であった。

 早速に聞いてきたままを具に支配人に話した。そして私は先の用件もあるので、あとは支配人に任せて、車に乗った。支配人は夕飯の時に全員に事情を話して対策を練ると言う。

 高校生が云うには、オーナーが行ったり支配人が行ったりして怪しまれるといけないので、自分たちが行くから任せて呉という。彼らは小説の登場人物と成って同僚の救出に、探偵小説よろしく大活躍しようと、夢と現実の錯綜した世界に没入した。

 学芸会とは全く違うのだ。悪徳医師と正義に燃えた高校生の演じる切迫した一大脱出劇で有る。此方のシナリオはあるが先方のシナリオはない。

 彼らの実行したあらましを紹介しよう。

 車両班は病院の玄関前に同じ型の車両二台を待機させる。こうすればどっちの車に乗り込んだか判別しにくくなる。

 チャパツの小林君擬き二人は帽子を被り作業服の中に小林君と同じパジャマを着る。

 農業高校の縫い取りの有る作業服に身を固めた高校生10人ほどが病院に見舞いに行く。彼らは小林君の病室に入り、中ではドアをギュッと押しつけて誰にも入れないようにする。早速小林君擬きは上着を脱ぎ帽子を取れば、小林君が二人出来た。本当の小林君は足下がふらつくが作業服を着て帽子を被る。これですっかり入れ替わった。

 外来患者の診察時間であったが余り患者は居ない。彼らは恐る恐る廊下を窺い小林君を支えながら診療室の前を通る。ガラス越しに医師の姿が見える。

 医者が気が付いた様子だったが、小林君は二人居るし病室を確認しようにも入れないのでモタモタして居る中に、彼らは正々堂々と退院した。

 彼らの念の入れ方は堂に入って、病室を確認されないように、しんばり棒を掛けることを忘れなかったのだ。

 彼らの一大脱出劇は終了した。

 かの診療所の看護婦さんは、お粥を食べてゆっくりしていれば、数日で薬が抜けて快復すると云っていたが、責任もあるので土浦市内の大学病院を紹介して貰い、直ぐ其の足で入院させた。

 回診のお医者さんが来て、○○病院に居たの!じゃお粥でも食べて一週間ゆっくりしていくか!学生さんの保険が有るんだろう!一週間ゆっくりして行きなよ!

 看護婦さんが来て、どうやって出てきたの?以前二階の窓からロープで退院した人もいるそうよ!お医者さんの云うとおり彼は一週間お粥だけ食べて帰ってきた。

 ○○病院では小林君の脱走に気づき、直ぐに電話してきた。その時彼は土浦の大学病院に居た。学生は○○病院の医者がどんな事を云うか見てみたいと云って、支配人を連れて病院に行った。

 ○○病院の医者が云うには、彼は自転車で病院に来る途中に転んで、頭蓋骨にひびが入り今非常に危険な状態にあるのです。

 直ぐにでも入院させないと何処で病状が悪化して死ぬかも知れない!とわざわざレントゲン写真を何枚も出して説明をしたそうだ。

 彼らはシラバクレて、小林君は宿舎にも来て居ないのです。どこかで倒れてでも居ては大変ですから、皆で手分けして捜してみます、と云った。

 小林君が退院したのは一週間后、皆で生還祝いを盛大にやった。何しろ三途の川に引きずり込まれていたのを助け出したのだから!!くわばらくわばら。

 この病院についてもう少し話を続けよう!

 この事があった10年ほど前まで町には診療所はあったが病院はなかった。町の人はとても喜んだ。病院も順次建て増してベット数も増やした。近くに数千坪の土地を購入し、病院の建設工事も一部で始まっていた。

 小林君が三途の川に引きずり込まれそうになったのは、丁度其の頃のことである。小林君の話を聞いた近くの桜井さんが自分の体験談を話してくれた。

 ○○病院が殺人病院だと言う事は、町の人皆が知っている常識のようなものだった。だから通院はするが、入院は絶対にしない。入院するのは産科のお母さんだけで、外の病室はガラガラだった。

 そこへ他県の保険証を持った患者が来たから、コリヤ良い鴨だ!小林君は鴨にされたんだね!桜井さんは一年ほど前酔っぱらってバイクを運転し事故を起こした。街の人は110番通報をしたが、119番の通報はしない。狭い町なのでパトカーが直ぐに来た。町には○○病院の救急車しかなく、パトカーのサイレンの音を聞きつけると直ぐに駆けつけるそうだ。

 警察官は先ず怪我人に、○○病院の救急車に乗るか?それともタクシーを頼んで土浦まで行くか?と尋ねるそうだ。桜井さんにぶつけられた相手は、はっきりと○○病院の救急車には乗らない!タクシーを呼んでくれ!と云ったそうだ。

 桜井さんも警官に尋ねられて、○○病院の救急車には乗らない!タクシーを呼んでくれ!と云おうとしたが、酩酊状態で、気は焦るが呂律が回らず、気が付いたら病院のベットの上にいた。

 これで一生帰れなくなったら大変だ。酒飲み運転の罰金どころでは済まされないと、一計を巡らした。歩けない中は注射を打たれない事を知っていた。かといって足を折っていて自力退院は無理だったので、走り出せるようになるまで、動けない振りをしてチャンスを狙おう。

 大部屋と云っても、入院患者は居ないのだから却って廣くて、誰に見られる心配もない。看護婦と医者の目を盗んでリハビリに励んだ。医者が回診に来たときは、快復が思わしくないと苦情を言って、足を延ばせと云うと痛い痛いを連発した。

 三途の川に引きずり込まれると思うと、リハビリも真剣で、却って短期間で快復した。もしグヅグヅして居てお医者さんに見つかったら、直ぐに連れ戻され注射を打たれたらもうダメだからなあ!

 入院二ヶ月大分長かった。外来が混雑している時を狙って、一気に玄関先を目指した。遂に退院成功!

 以前家族が強引に退院させようとしたら、今非常に危険な状態だから、このまま退院したら何時死ぬか判らない!病院では責任を持てない!と言われ、暫くどうする事も出来なかった患者が居たそうだ。無理に退院させようとして危ない注射でもされたら取り返しも付かないからなあ!

 でも此の殺人病院は、その後一年ほど経って警察の手が入って潰れてしまった。最初の容疑は十万億土に居る患者の保険請求をしたそうだ。日本の健康保険は、冥土の患者は保険対象外だそうだ。

 警察も医療の事には手が出せず、長年内偵を進めていたそうだ。その後の取り調べで、長年の悪事が露見し、懲役刑が確定した。

 保険不正請求や医療記事は新聞に掲載されない月は無いのだから、今でも日本のどこかにこの様な病院はあるだろう。

 

 


12-01/19
健ちゃん

 彼の本当の名前は誰も知らない。ただケンチャンと云う。書くことは余り好きで無いらしく履歴書を見たこともない。

 日暮れ前一人の若者が牧場の宿舎に尋ねてきた。ボストンバックに革靴で自称ケンチャンという。訳有って一宿一飯を願いたいと。彼は上手だ。日暮れでは帰れとも云い難いのを承知で、わざわざ夕方に来た。飯はただで喰わせてやるから泊まって行けと云う。大袈裟な礼を言う。おばさん一人増えたよ!

 二三日して牧場へ行ったら、このあいだのケンチャンが作業服を着て牛のウンチ掃除をして居るではないか。誰かに古着を貰ったらしい。

 どうしてアウトローに成ったかは知らない。頭が悪いのか?気が弱いのか?何れにせよ世間に耐えきれなかったからだ。

 彼が成長する過程に幾つかの原因がある。過保護過干渉・無責任放ったらかし・子供を虐待・父親の女房虐めなど数えれば切りがない。これは親の学識には関係ないようだ。ただ資質は大いに関係する。

 社会では受け入れられない彼でも、アウトローと成る門戸がある。内部では上下関係がことのほか厳しいそうだが、社会に対して威勢を張る機会がある。余り謳歌しすぎると本当に陽の当たらない処へ入れられて仕舞うかも知れないが、事の善し悪しは別としても、彼、入れ墨君には最近まで陽の当たる人生が有った。

 どうして牧場に転がり込んだかは知らないが、若者の中に混ざった入れ墨君、サッパリ威勢が通じない。人間関係のストレスもないが自己主張しようにも柳に腕押しで全く手応えがない。入れ墨君の入れ墨余り格好が良く無い。多分弱虫で途中で泣き出したのだろう!とは高校生の言。

 利害関係の全く無い空間では、相手を干渉する人も居ないが、魅力がなければ相手に耳を傾ける人も居ない。一宿一飯がずるずると長居して数カ月になった。入れ墨君はボンヤリして居なかった。牧場に出入りしていた運送会社の運転手にして貰った。運転手は独りぼっちだから却って人恋しくなる!

 

 


12-4/13
コンドーム

 山奥に畑を開墾した。起伏地をブルドーザーで平坦にして、畑にする。
 掘り起こした土は肥料分がゼロで、牧草の種を撒いても、芽が出るだけで生育せず直ぐに枯れて仕舞う。

 堆肥を入れねば圃場には成らない。金肥は経済的にとても無理。此処には人家もないし誰にも苦情を言われる心配もないので、人糞を入れる事とした。

 これなら無料だし少し小遣いも貰える。トラクターで深耕し周りに路を付けて、両側から糞尿車が入れるようにした。

 一つの業者ではとても間に合わないので、○○衛生社と○○黄金社の2社に委託した。○○衛生社は都会地を主な活動地に、○○黄金社は主に農村地を主な活動地にしていた。

 何しろピストン輸送で人糞を運び込むので、片側の路からは○○衛生社のバキユウムカーが進入し、もう一方の路からは○○黄金社が進入して、人糞を撒布した。面積は3町歩程だったが、一日100台程運び込んで、年末から3月頃まで毎日運び込んだ。

 人糞は殆どが水だから、そんなに運び込んでも、固形物は土の上に数センチの膜が出来る程度しかなかった。そんな訳で、畑の半分は都会の糞尿、あと半分は農村の糞尿、こんな詰まらぬ臭い臭い話だが、実に貴重な実体が浮かび上がった。

 糞尿は強酸性だから、石灰を多量に撒布し、トラクターで鋤込むと、中性土壌なる。あとは普通の畑のように耕作できる。

 第一作にもろこしの一種であるソルゴーを播種した。これは種が大きく茎も強いので、荒れ地でも耕作できると判断したからだ。

 草丈が30センチ程になったとき奇妙な現象に遭遇した。コンドームの花盛りである。ソルゴーは茎が丈夫なので、土の中のコンドームを持ち上げて仕舞って、花盛りとなった。

 だが此処で新たな発見をした。畑の右左、都会の糞尿と農村の糞尿では、コンドームの数に顕著な差のあることだ。農村の畑は3分咲きなのに都会の其れは7分咲き。

 この花盛りは一作では終わらない。耕して種を播けば又同じ様な事が起こる。3年位はこの花盛りが続き、恐らく数万箇のコンドームを牛舎から掃き出し、トラクターのモアー(大形草刈り機)の歯に引っかかって、後々まで悩まされた。

 通算すると、都会の人は農村の人の2倍もセックスをする事が実証された。農村の人は燃やして仕舞うのではとの疑念に、農村の澄んだ空気にゴムを燃やしたら、数キロ先まで臭ってしまうから、燃やすことは考えられない。

 農村の人と都会の人では精力に差があるのでは、都会の人が強く、農村の人が弱いのではとの疑念にお答えしよう。かと云って街角インタビユーと云う訳にも行かないし、それ程重要な話でもないから、著者の体験でその任を免れよう。

 著者は事務職をした経験も有れば農作業をしていた経験もある。其の経験に依れば、事務職の方が精力は弱い、屋外筋肉労働の方が健康で精力ははるかに強い。

 以上の事柄を精査すれば、農家の人よりも都市の人の方が助平で有る、と言う結論に到る。

 都会の人と農村の人の夫婦関係を見てみると、都会の人は箇人對箇人の関係であるのに、農家の人は属對属の関係である。

 都会の夫婦関係の中に親類縁者の入り込む余地はないし、普段の関係でもお互いに頼りにしていない。だから都会の夫婦は何時も一対一で向かい合っている。

 それに比べ農家の夫婦関係の中に親類縁者の入り込む余地もあり、普段の関係でもお互いに頼りにしている。だから農家の夫婦は何時も背後に多数を従えた関係で向かい合っている。

 都会の夫婦は互いの一挙手一投足一言半句が夫婦関係に影響を及ぼす。それに比べ農家の夫婦は係累の首對係累の首の関係であるから、互いの一挙手一投足一言半句はさほど夫婦関係に影響を及ぼさないし、それ程重要な事柄ではない。

 以上を精査すると、箇人對箇人の場合はお互いに不安が残るから、これを補完するために自然とセックスの数が多くなる。農家の場合は箇人對箇人の関係は其れほど重要な不安要素には成らないから、其れを補完する必要もない。依ってお互い気の向くときだけしか行わない。

 臭い糞尿が臭い屁理屈を生むとは!!

 

 


耶麻郡の親切なおじさん

 嘗て茨城県内で酪農をしていたとき、福島県の農業高校から定期的に実習生が来ていて、嘗ての実習生から一通の手紙が来た。

 卒業後地元の農協に勤めているそうだ。農協の事業として、地元産の乳牛を都市近郊の酪農家に売る販路を作りたいので、その世話をしてくれないかという。

 嘗ての実習生でもあり、乳牛の生産地と直接の繋がりを付けられれば、それに越したことはない。

 農協に電話は有るだろうが電話番号が書いてない。多分自分の業績として有る程度確実になるまで、他人には黙っておきたいのだろう。当時は個人の家に電話はなかったので、近い内に行く!と手紙を出した。

 未だ東北自動車道も出来て居なかったから、ぼろトラックは日光街道を北上して郡山を通って猪苗代町に到着。朝薄暗い中に出掛けたのに到着したのは午後も大分廻った時刻。

 さあそれから先が大変だ!耶麻郡と云えば磐梯山の裏手。地図を見たがサッパリ判らぬ。どうやらこうやら右往左往しながら近くまで来た。近くまで来たと思っただけだった。

 今のように全道路舗装ではないから、これがなかなかの難儀。そういえば話が前後するが日光街道も舗装されていたのは埼玉県までで、後は郡山猪苗代と全部砂利道。

 車がやっと通れるような山道を進んだがなかなか目的地に到着しない。心細くもなった。

 これから仕事に行く途中か?それとも家に帰る途中か?自転車に乗った野良着姿の六十才ちょっとの男性に道を尋ねる。

 ああ知ってるよ!一緒に行って上げよう。自転車を道端に立てかけて助手席に乗り込む。三十分以上も走ってやっと目的の家に着く。

 同乗の間にすっかり仲良しに成って仕舞った。私に代わって色々先方に話してくれる。私が道不案内で困っていたことや、朝暗い中に出掛けてきたことなど。なにしろ親切。

 彼はいま農協に出ていて帰ってきていない。話は聞いていて知っているが電話がないので農協に連絡できない。家の者が自転車で迎えに行って来ると云うが、片道三十分も掛かるのでは大儀と思い明朝亦出直します!今日ではもう時間がないので、明朝来るから息子さんを待たして置いて下さい。

 あれ!!おじさんは家を教えてくれたが、とうやって自転車の置いて有るところまで帰るんだ!

 先ず案内してくれたおじさんを自転車の処まで送り届けなければならないし、猪苗代に宿を取らねばならない。

 親切なおじさん、猪苗代までの道を教えて上げようと、更に猪苗代まで足を延ばして、商人宿を捜してくれた。そして亦自転車の処まで来た。半日も一緒に付き合わせて申し訳ないから礼をしたいと申し出たら、要らない要らないの一点張り。

 自分の家は近くだから寄って行けと薦められ、ついつい寄らせて貰った。私も福島まで来るのにぼろトラックで作業衣姿だったが、私を含めて当時の農家の人たちの身なりは、野良着も家着も同じで皆粗末だったので、縁先に上がり込むのに其れほどの違和感はなかった。

 家では奥さんが、お父さん何処へ行っていたの?これこれ然々。お父さん良いことをして上げたね!と、皆笑顔。爺さん婆さん父さん母さんと私。お茶と漬け物で夕方まで歓談。

 お婆さんが遠来の客に柿をあげたら!と提案。おじいさんが松戸にはないだろうからと、渋を抜いた柿と甘柿を大きな篭に一杯も呉れた。



牛の種付けを見る女学生

 昭和女学院の隣の牧場で牧夫をしていた。

 細い道路を隔てて牧柵があり、教室とも10メートル程しか離れていない。

 当たり前と言えば当たり前の話だが、乳牛は子牛を生まないと乳が出ない。だから子牛を生むと数カ月後に又妊娠させ次の子を生ませる。そうしないと連続して乳が搾れない。可哀想な話だが現実である。

 種付けは人工受精と雄牛にさせる場合とが有るが、受胎率から云うと雄牛の方が格段によい。

 遺伝子は6代で固定すると云うから、高等登録6代以上の種雄を使うのだが、生まれた子牛の血統を云々しない牧場は、四五代の種雄牛を使う。それでも体重は千数百キロだから雌牛と比べると格段に大きくて獰猛だ。

 種付けをするには特別に頑丈に作られた牧柵に雌牛を繋ぐ。牧柵は牧場の周りじゅうにあるのに、何故か種付け用の丈夫な牧柵がよりによって女学校と路一本隔てた所に有った。

 雌牛の発情は匂いで判るらしい。雄牛はいきり立つ。先ず雌牛を丈夫な牧柵に繋ぐ。そこへ二人掛かりで雄牛を連れだす。雄牛は出たくて出たくて暴れ回る。始めは雌牛の体に体を擦り付けあちこち舐め回す。ほんの四五分だ。牛の一突きと云うけど、いきなり乗りかかり一秒。もうぐったり。牛舎へ引き戻そうとすると嫌がるので、ちょっと待つともう一突き一秒。これでホントにぐったり。

 受胎率は時時刻刻と変化するので、牧夫は雌牛の状態を見て、一番率の良い時を見計らって交配する。

 だから人の都合ではなくて雌牛の都合だ。

 始めに教室と牧柵とは10メートルしか離れていなかったと書いたが、種付けのために雌牛を牧柵に繋ぐと、どうした事か教室の窓が一斉に開けられる。女学生の顔が窓一杯に並ぶ。5分で事は終わる。窓は閉められ、何事も無かったかの様に女学生のはしゃいだ声が響く。