第三章 神社

3−1 神社の運営

 神社には簡単な祠から大規模な神殿まであり、日々の運営には施設の管理と、御祭神への神事としての対応がある。

 

 小さな祠なら氏子が時折手弁当で管理業務を行うので、費用はかからないし、施設の補修も氏子の持ち寄りで当座は間に合う。

 然し規模の大きな神社では、御祭神と対応する神職と、専ら施設を管理する人員が必要で、手弁当という訳にもゆかず、謝礼が必要である。

 因って、その費用を捻出するために、お守りや御札やお祓いや賽銭箱などを手掛ける。

 また大きな施設では維持管理にも、それ相当の金銭が必要となるので、時宜に応じて趣旨を報じ寄付を募るなどをしている。

【屁理屈】

 今は世知辛くて無料の処は珍しいが、神社は殆ど無料!

 何処の神社へ参拝しても、請求はされないが賽銭は供える。

 心の洗われる環境を提供して貰って、素通りは心苦しいからだ!

 

 

 

 小さな神社なら氏子だけで運営できるが、大きな神社になれば常駐の職員を置かなければ運営できない。その構成は知らないが、御祭神へのご奉仕が基本のようだ。

 

(これほどの大きさでも、祀っている人にしてみれば神社)

 

 

 

3−2 お祭り

 神社では色々な名目を付けて、沢山のお祭りを行う。御祭神のお心は即ち、御祭神を誕生させた氏子(感謝の心を共通にする同人)の心で、氏子の心は即ち御祭神の御心である。

 氏子は御祭神を擬人化して、村祭り(名称は色々ある)と称して饗応を成し、老若男女、山車や神輿で町内を練り歩き、田畑を巡り、笛や太鼓など心を躍らせる。

【屁理屈】

 “ひと”は死ぬと肉体は滅びるけれど、魂は滅びないそうだ!

 “ひと”は肉体があるから、衣食住が必要だが、肉体がなければ、衣食住の必要はない。衣食住の必要がなければ、随分と気楽だ!

 強欲さえしなければ、四苦八苦は除かれる。

 

 稔の秋になれば、豊作を祝って普段の苦労を跳ね除けたい!と思って、御祭神の名を借りて秋祭りを行う。

 

 

 漁師は厳しい漁労の憂さ晴らしに、御祭神を海に連れて行くと称して、神輿を担いで海に飛び込む。

 子供が堅固に育って欲しいと、御祭神の名を借りて、「なまはげ」祭りを行う。

 

【注】

 テレビ画面に映る祭りは大規模だが、現実には小さな集落でも行われている。

 この頃は少ない人員でも扱えるように、中古自動車の車体を流用して、方向転換が楽で、悪路でも扱える山車もある。

 

 神社の行事は、氏子の気持ちの現れなので、氏子の思いによって適宜遂行され、数え上げれば沢山あり、氏子が○○祭りを行おう!と発案すれば、衆議一決○○祭りを行う事は可能である。

 

 神社の祭礼は、御祭神の名を借りて、自分達が愉しむ爲の行事でもあるので、演芸大会なども盛んに行われる。

 

 ただ御祭りの行事は、多人数の協力が必要なので、思いつき丈で行う訳にはゆかず、それぞれに長年の歴史がある。

 長年の歴史があると、何処の知恵者が脚色したか?それぞれの祭りには、衆人を納得させる由緒がある。

 

 

 

3−3 形態

 神職は時宜に応じて神職の服装(ユニホーム)を着用する。日頃見受けられる神職の服装は、どうしてあのように成ったのか?

 どんな職業、どんな立場にも、それぞれに相応しい服装があり、何事も一朝一夕に辿り着ける事柄ではない。

 神職の服装も、恐らく幾千年の変化が有ったであろう。そして現在が終着と云うわけではあるまい。これから先も、どんな変化を遂げるかは誰にも分からない。

【補解】

 もし祝詞を漫才調で奉上したら、有り難みが出ますか?

 もし裁判官がピエロの服装をしたら、判決がまともに受け入れられますか?言葉遣いや服装は職務遂行の上で重要な要素である。

 

 同様に、御祭神と会話を成される「祝詞」や「立ち居振る舞い」、神殿の様式、什器の設えと配置・・・・・・・・、なども幾千年の歴史が有ったであろう。

 

 

 

3−4 御札・御守り

 神社には御祭神を縁とする御札や御守り、お神籤など・・・・・・、形も雑多な御祭神の分身が授けられているので、御祭神との対面は、神社に来なければ出来ないわけではない。

神社ではこんなにも素晴らしい結婚式も出来る

 御祭神そのものは“貴方自身の心”に宿るのだから、御祭神に真心で感謝の思いを持てば、“貴方自身の心の中”に現れ、“貴方自身の心”と対話してくれるのである。

 そうは云っても矢張り「像」が欲しいと思う“ひと”のために、神霊と書かれた御祭神の分身を仕立て、「お守り袋」に収めた。

 多くの小学生のランドセルには、交通安全のお守りが付いていて、気休めと云ってしまえば其れまでだが、危険な世の中で、親子の慰めになっていることは確かである。

 これらお守りなどの頒布収入や、お賽銭を財源として、神社の保守管理に充てている。

【補解】

 著者の住む街には、氏子が200名弱の「熊野神社」がある。新年は参拝客の途切れることもなく、普段でも参拝人を見掛けぬ日はない程の盛況な神社である。

 この神社には常駐の神職は居ないので、その都度大きな神社から神職さんに出張して戴く。

 その他は総て氏子が管理運営していて、清掃は近隣有志と老人会が行っているが、何れも全員手弁当である。

 神社に関わる人人にとって、神社の繁栄は自分にも誉れで、御祭神の身近で働けるので、手弁当は当然のことと思っている。