第二章 祭神

2−1 祭神の誕生

 精霊は純真な“貴方”の心の中に宿されているだけでは、実態もなく像もなく、心に秘めている事柄でしかない。

 然し其の思いが、家族や民衆や社会で共通の認識となったとき、その思いには名称が付けられ祠に祀られ祭神となる。

【屁理屈】

 個個の思いを共通の認識とするには、○○氏の精霊ではなく、精霊そのものに固有の名称を付けた方が馴染みやすい。

 自ずと其の対象に名称がなければ、共通の認識として成り立たないし、其れが神様のお名前である。

 

 “ひと”の心の中に棲んでいた精霊が、民衆共通の認識として名称を得たとき、この感謝、忌避、願望、崇敬の念を、民衆が共有した結果として祠に祀られ「祭神」が誕生した。

 

 これが即ち“祭神”の本質である。

 御祭神は、民衆が共通の認識として、自分たちの思い(精霊)に名称を付け、祠に祀ったときに誕生する。

 言い換えれば、精霊が民衆に祭り上げられて御祭神となり、或いは民衆の都合で精霊から誕生したので、古い御祭神は文字のない時代から、新しくは昭和の時代にも沢山誕生している。

 誕生は“ひと”が複数群れ住んだときから始まったので、古い時代に  (天照大神)        は文字も無く、口伝も曖昧で有ったと推測されるのだが、長年の間に脚色されて、由緒正しい誕生秘話を備えた。

【屁理屈】

 精霊が祀られるのは祠とは限らない。氏子に経済力が有れば、最初から大規模な社に祀られる事もある。

 明治大正昭和生まれの御祭神は沢山居られるが、平成生まれの御祭神は、未だ耳にしていない。

【補解】

 “ひと”は膨大な歳月を経て、“ひと”から“人”、民衆から社会、更に国家と成った。国家が成立してから更に1300年余りの歳月を経過して、やっと文字が普及し、古事記の献上が皇紀1372年 日本書紀の献上が1380年である。この事は、朝廷が出来てから1380年も経た後に、編輯された記述と謂える。

 

 気の遠くなるような膨大な歳月を経過した後に、為政が確立し文字が実用化し、口伝が集積編輯脚色整理されて、現在に伝えられる古典記述となった。

 然し脚色が為されたとしても、歳月を遡る事は不可能で、其れの歴史的な事実や登場人物の謂われを暴こうとしても、暴ける訳もなく、暴くことは所詮、脚色の書き換えを成すに過ぎない。

【屁理屈】

 強く純真な心で尊敬し感謝する物事は沢山あって、仕事のアドバイスをして貰ったり、病気を治して貰ったり、縁結びをして貰ったり、・・・・・・数え上げたら際限がない。

 只これらをお一人のお方が為さった訳ではない。皆さんは得意とする分野がお有りで、それぞれに得意分野に関わって呉れた訳である。

 依って御祭神は、縁結びの神様、お産の神様、商売繁盛の神様・・・・・それぞれに得意分野の神様が居られるのです。

 ですから、御祭神にお願いをする立場としては、此方の要望を得意とする神様を撰んで、お頼みするわけです。

 

 古い時代に誕生為された御祭神は、誕生からの経緯が事細かに物語られていて、とても人間くさいが、御祭神は古代であれ、現代であれ、何時誕生為されても、“ひと”が誕生させたのだから、人間臭くて当然である。

 なお脚色が為されても、御祭神を崇敬する心情は、自由な真心の問題で、御祭神を崇敬する“ひと”や“人”の真心が有る以上、御祭神の本義から逸脱する事は無い。 (雷神と風神)

 

古代から現代に到るも、“ひと”や“人”には感謝や崇敬(尊敬)の心があるので、何時何処に限らず御祭神が誕生する下地はあり、全時代に亘り全国各地で御祭神は誕生している。

 

 

 

2−2 精霊を祀る

 “ひと”の心に生まれた精霊が、民衆の共通認識となり、名前を得て祠に祀られ、御祭神となった。

【屁理屈】

 御祭神には名前があっても像がない。ただ当事者の心に有るだけで、ご本人を知っている人ばかりとは限らない。これでは民衆の共通認識には乏しいので、御祭神を具現化させる爲に、御祭神の由緒を書き記した。

 

 この行為が「祀る」事で、其の施設が神社で、御祭神を祀る神社には、茶箪笥の上に設えられた神棚から、一山を為す神社、或いは嶮しき山頂に祀られた石塊、・・・・・・・・まで、規模も形態も雑多だが、その意義には全く相違がない。敢えて有るとすれば、其れは祈る者の心だけであろう。

 神社に祀られる御祭神には三通り有って、@もともと居られる御祭神と、Aもともと居られる御祭神の分身としての御祭神と、B新たな誕生を迎えた御祭神がある。

 御祭神とは、人人の感謝と崇敬の心を顕在化(具現化とも言える)したとも云え、その根底には人人の純真な感謝と崇敬の心があり、古代の御祭神でも現代の御祭神でも、御祭神には、生前に為された功績が多多傳えられている。

 因って、人人は御祭神に對し、日々の感謝と共に、その功績を分け与えて貰うことを希望する。

 人人は御祭神の功績を己の欲望毎に、お産の神様、学業の神様、戦闘の神様、農業の神様、製鐵の神様、芸能の神様、・・・・・・などと、勝手気ままに自分の都合で分類して、自分の都合でお願いをするのである。

 御祭神には、“ひと”の純真な感謝の心が根底にあるので、其の誕生の経緯から、“ひと”の心を和ませる“何か”(敢えてこれを霊力、或いは霊験と云おう)が有る。

【屁理屈】

 “ひと”は感謝されると嬉しい。嬉しい心は周囲に嬉しさを与える。

 自動車を運転する人なら幾度か経験した事が有るだろう。親切にされると気分が良くなり、他の人に対しても親切にしたくなる。 意地悪をされると、他の人にも意地悪をしたくなる!

 

 因って、何方かが有る目的の爲に、例えば怨みを鎮める爲には出雲大社や太宰府天満宮や将門神社を建立し、國を守るために散華した“ひと”の苦痛を鎮めるために、靖国神社や護国神社(護国神社は各地にある)を建立した。

 

 

 

2−3 祀ると云う心

 “ひと”の感謝と尊敬の心こそが御祭神の本質なので、“人”は御祭神に對して、当然のように崇敬の念を懐く。其れは取りも直さず純真な自分自身の心に、誇り(崇敬の念)を懐くことに通じる。

 依って“ひと”が御祭神の前で祈ると、その人の心から怨みや憎悪の情が払拭され、穢れない真心だけの空間となる。

 多くの日本人の住まいには、長押の上に、或いは整理箪笥の上に神棚(神社が)が設えられ、御祭神が祀られている。

 整理箪笥上の神棚も、山麓の荘厳な神社も、共に神聖な御祭神の社で、双方に何の相違もない。もし有るとすれば、礼拝する“ひと”の心根だけである。其の家の神棚は、純真な家族の心の鑑としての、祭神が居られる場所である。

 一日の始めに、純真な心で神棚の祭御神に手を合わせ、感謝の思いと希望を祈る行為は、其れは取りも直さず自分自身の心の鑑であるから、自ずから穢れた行動を慎むことに成る。

 

 

 

2−4 神社の建立

 “ひと”の心の中にあった A氏(尊敬する人を仮にA氏としよう) への尊敬や感謝の念が“人”や社会の共通認識となったとき祠に祀られて“御祭神”
は誕生する。

 御祭神への感謝の念と御利益を、広く民衆に知らせるには、誰でも御祭神と対面できる施設が必要である。   この施設が即ち祠、社・・・・と云われる施設である。

              (ミミズの神様を祀る 長野県)

 小は山頂の石塊から路傍の祠、大は一山を成す神社まで、規模は雑多だが、御祭神と対面する施設に相違ない。

 自然界の恵や、賢人の業績を慕って“人”や社会が、御祭神を誕生させ、御祭神への感謝と御利益を広く民衆と分かち合うために、御祭神と対面する施設として、規模の大小はあるが、民衆の善意を具象化して神社を作った。

 為政者が民心を安定させるために、或いは怨霊を鎮める爲など、・・・・・・・・それぞれの目的に従って当事者が御祭神を誕生させ、神社を建立した場合もある。

 近年に誕生した御祭神は、近代史に登場するような人物だが、古い時代に誕生した御祭神は、今更確認が出来ないので、由緒書きの通りである。何故なら、御祭神は私達の心の中に居られるのだから、自分の心を敢えて詮索する必要も無かろう。

 

 集落では集落を加護して貰うために御祭神を祀る。集落の全員が御祭神を祀る神社を建て

(個人が自宅敷地に祀った稲荷神社)

る事に賛同したとは限らないが、祀ることに賛同した人を「氏子」と云い、当然のこととして、氏子は神社の管理や運営の業務に当たる。

 

 

2−5 礼拝

 礼拝には色々ある。身近な處には、ランドセルにぶら下げた交通安全のお守りがある。父母が我が子の安全を祈って、最寄りの神社から戴いたのであろう。

 児童が手合わせるかどうかは知らないが、ランドセルに父母が付けてくれたお守りがあることは知っている。お守りを見て父母の愛情を心に刻む。これも礼拝の一つの有様と謂える。

 家の神棚には天照大神と産土神の御札が収められている。毎朝お茶とご飯を供えて、二禮二拍手一礼をして、昨日の報告と今日の安穏を祈る。

 

 元旦早々、まずは神社へ新年参拝に出掛ける。昨年のお礼と、今年は沢山のお願いをする。

 職場に神棚の有るところもある。

 旅行先にも神社があり、観光コースの一つとして参拝する。

 神社参拝はそれ程意識された行動ではないが、ただ刷り込まれた行動の一つとしての感覚である。

 其れはご自分の“真心”が求めるからであり、殆どの人の心は、本来純真である。だが歳月と共に実社会で翻弄され、純真では居られない事も多い。

 神域には規模の大小は有るが、何れも幽邃な環境で、実社会から隔離された空間である。

 人の心は、失われた童心への郷愁から、無意識に神社へ足が向くのである!

 深山に分け入るのも、趣味に没頭するのも、失われた童心への郷愁が根底にある。

【屁理屈】

 私は毎朝先ず雨戸を開け放ち、新鮮な空気を部屋中に取り込む。次いで神棚の前に立ち、二禮二拍手一禮をしてから、昨日は大過なく過ごせたことを報告し、今朝何事もなく目覚めた(年寄りは、目覚めないかも知れぬので、これも重要だ!)事に感謝をする。

 其れから、色々勝手なお願いをする。

 これで私の心はリセットされた!

 昨日のことを持ち越すことはない!

 これで物事が深みに填る ことは避けられる。

 これで気持ちがサッパリする。少なくとも曲がったことをしない!心の準備は出来た。

【屁理屈】

 神棚に礼拝するお陰で、毎朝心がリセットされるので、曲がったことは成さずに過ごせた。御祭神に礼拝するという行為は、言い換えれば穢れ無き自分の心に礼拝する!と云うことでもある。

 俗世と謂う言葉が有るとおり、世間は何時も駆け引きに満ちている。駆け引きに嫌気がさして晩酌をしたくなる気持ちも分からぬではない。晩酌は帰宅後の心の洗浄!毎朝の神棚でのご挨拶は、朝の心の洗浄!

 

 

 

2−6 霊験 御利益

 日本人の心は純真である!著者はこの言葉を信じる。銭金の爲だけに神社へお参りし、緑の多い公園の積もりで神社へ遊びに来ている訳でも無さそうだ!

 かといって、神社が偉人を祀るためだけに有るのなら、顕彰碑と同じではないか!と謂われそうだが、著者は絶対に違う!と思っている。顕彰碑は偉人の活躍を記した案内板で、案内板は案内板でしかないのである。

 神社に祀られる御祭神も偉人のお一人で、その点は顕彰碑に刻まれた偉人と差ほどの違いは無いが、その偉人が民衆に祀られた!祀られなかった!の違いはとても大きい。此の違いは思ったより深遠なので、稚拙な著者には説ききれないと悟った。

 民衆にとっては、肌で感じる恩恵も大きな魅力の一つで、個人個人によって、実情も受け取り方も異なるので、到底他人には分からない事である。

 依って、著者の体験から推量して戴きたい。

 著者が子供の頃に母から「1円を粗末にすれば、1円で泣くんだよ!」と云われた。

 著者が30歳の時に母は死亡したが、その言葉だけは母の面影と共に残っている。金銭的な窮地に陥ったとき、母を思い出すと、不思議と改善策を思い付き窮地から脱出できた。妻からも、「あなたの能力以上のことだ!」と云われ、納得もしている。此は母の精霊が働き掛けて呉れたのだと内心思っている。

 靖国神社へも参拝している。他人のために命を捧げた御英霊に人知れず泪したこともある。

 土木建設現場で重機オペレーターをしていた時に、重機の下敷きに成ったことがある。そのとき脳裏を過ぎったのは、靖国神社の御英霊のことである。重機の下に僅かな隙間が有って、其処から這い出したのである。私を見る周囲の顔は蒼白であった。

 私は操縦が下手だったので、死にそうな事故は2度有ったが、2度ともほぼ無傷であった。この奇跡は自分でも納得が出来ない。

 運が良かったことを拾い出すと、自分の努力よりも運に支えられた人生だったのかと、自信を無くして仕舞いそうである。ただ籤運は悪く、この歳になるまでテイッシュ以外当たったことがない。

 私は今でも世話になった“ひと”は時折想い出し、その都度感謝していて、胸が熱くなることもあるが、無闇に御祭神を引き合いに出したり、凭り掛かることも、疎かにもしていない積もりである。

 私は御祭神に對して、神秘的なことを期待もしないし、感じても居ない。ただ御祭神に対する穢れ無き心と、相手への尊敬と、感謝の気持ちが、自分から自分を幸せに導いて居るのだとも、或いは相手から寄ってきて呉れるのだとも思っている。

 神道の本義は尊敬と感謝で、それは相手を認めることにある。相手とは、正反対でも正反対として認める事である。

 此方から譲歩すれば相手も譲歩して、互に助け合う事が出来るのだが、此方が一方的に主張すれば、相手は離れてゆく。何故なら思いが全く同じ“ひと”など居ないのだから・・・・

 神社には施設から立ち居振る舞いまで、御祭神が民衆の爲に働きやすい様な心遣いが為されている。

 精霊が、心の中に居られると、何とはなしに心が温まり、而も、独りぼっちではない気がする。此は精霊の為せる業とても云おうか。

 人生で辛いことの一つに独りぼっちがある。神社で御祭神に拝謁すれば、御祭神が、参拝者の心を温めてくれる。

 独りぼっちではなくなるのだ!

 心が温かいと運は集まってくる

 心が冷たいと運は去ってゆく